Paul McCartney

SONG YEAR LANK    
Spies Like Us 1986 92    
No More Lonely Nights 1985 72    
Say, Say, Say 1984 3   & Michael Jackson
The Girl Is Mine 1983 49   & Michael Jackson
Take It Away 1982 70    
Ebony And Ivory 1982 4   & Stevie Wonder
Coming Up  1980 7    
Junior's Farm / Sally G  1975 88   & Wings
Band On The Run  1974 22   & Wings
Jet  1974 77   & Wings
Helen Wheels  1974 92   & Wings
My Love  1973 5   & Wings
Another Day / Oh Woman, Oh Why  1971 60    

About Paul McCartney

ジェームズ・ポール・マッカートニー(Sir James Paul McCartney, MBE, Hon RAM, FRCM、1942年6月18日 - )は、イギリスのミュージシャン。シンガーソングライターであり、世界屈指のマルチプレイヤーでもある。 ファーストネームはジェームズだが、父親も同じ名前のためミドルネーム(ポール)を通常の名前として用いている[1]。1997年にSirの称号を贈られた。

1960年代、ザ・ビートルズのメンバーとして、ジョン・レノンとともに数多くの楽曲を作詞・作曲した(レノン=マッカートニーを参照)。

同バンド解散後は、ソロ歌手およびウイングス(ポール・マッカートニー&ウイングス)などのメンバーとして活躍。

デビューから50年以上経過した2014年現在でも現役ミュージシャンとして第一線で活動している。

 

『ギネス世界記録』に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として認定されている。左利き。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第11位。

「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第32位。

 

名門校リヴァプール・インスティチュート出身。

 

世界で最も有名なポピュラーミュージシャン、シンガーソングライターの一人である。

親しみやすく美しいメロディの作風に特色があり、ビートルズ時代においては「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」など、ビートルズの代表曲と言われる楽曲の多くを作詞作曲した。

解散後の1970年代には、ウイングスのリーダーとして、1980年代以降はソロとして活動し、全米チャートの首位に9曲、トップ20に20曲以上を送り込んでいる。

2000年以降も作品をリリースし続けており、近年ではクラシック音楽も手がけている。

 

ビートルズ時代から現在に至るまで、バンドでは主にベースを演奏している。

ベーシストとしての評価は高く、彼のメロディアスなベースラインは、後のロックバンドにも多大な影響を与えたと言われる。

他にもギター、シンセサイザー、キーボード、ドラムス、ウクレレ、フラットマンドリン、また管楽器をも扱うマルチプレイヤーである。

「タックスマン」「涙の乗車券」などビートルズ時代のいくつかの曲でリード・ギターを担当し、また「バック・イン・ザ・USSR」「ディア・プルーデンス」「ジョンとヨーコのバラード」などでドラムを叩いている。

ソロ・アルバム『マッカートニー』や『裏庭の混沌と創造』ではすべての楽器を一人で演奏(マルチレコーディング)している。

 

ボーカリストとしての才能も高く、楽器を演奏しながらリトル・リチャードなどの難易度の高いロック・ナンバーを歌いこなすほか、バラードにおける甘い歌声や、エルヴィス・プレスリーを思わせる唸りを効かせた歌唱法など、多彩なボーカルを聴かせる。

ビートルズのメンバーでは最も高い声域を持ち、コーラスの一人多重録音も盛んに行っている。

 

 

ウィキペデアより抜粋

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