Linda Ronstadt

SONG YEAR LANK  
I Don't Know Much 1990 20      & Aaron Neville
How Do I Make You  1980 68  
Hurt So Bad  1980 76  
Ooh Baby Baby  1979 77  
Blue Bayou  1978 61  
It's So Easy  1978 90  
When Will I Be Loved  1975 47  
You're No Good  1975 50  

About Linda Ronstadt

リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt, 1946年7月15日- )は、アメリカ合衆国アリゾナ州ツーソン出身の歌手、ミュージシャンである。

 

ドイツとメキシコ、イングランドの血を引く両親の間に生まれる。

父親もミュージシャンで、10代からギルバート&サリバン(アーサー・サリヴァンとウィリアム・S・ギルバート)などを聴き始め、その他にもビリー・ホリデイやサラ・ヴォーンなどの女性ジャズシンガーなどに影響を受けながら、カリフォルニアへ移り、音楽へ傾倒し始める。

 

リンダはアリゾナ大学を1年で退学した後1967年、女性1人、男性2人のスリーピース・バンド「ストーン・ポニーズ」のボーカルとしてデビューした。

このグループのリーダー、ボブ・キンメルは、当初リンダをフィーチャーした5人編成を予定していたが、グレイス・スリックをフィーチャーしたジェファーソン・エアプレインが「あなただけを(Somebody to Love)」のヒットを放って脚光を浴び、さらにエレン・マクファーレーンをフィーチャーしたスパンキー&アワー・ギャング(Spanky & Our Gang)がデビュー、といったように出し抜かれ、当初の5人編成のプラン変更を余儀なくされた。

このバンドは当時、一世を風靡していたママス&パパスやラヴィン・スプーンフルの流れを汲む、カントリー&ウェスタンの要素が取り入れられたフォーク・ロックのグループであった。

1967年、セカンド・アルバム『Evergreen Vol. 2』からのリカット・シングル「悲しきロック・ビート」(デイファラント・ドラム)が、1968年になってベスト・テン入りを果たすビッグヒットとなって一躍注目を浴びた。

しかし、その後はヒットは出せず、バンドは解散した。

 

バンド時代から「レコーディングはリンダ1人で」と誘われることが多く1969年、すんなりソロ・デビュー。

自ら作詞・作曲はせず、新曲でもない、ほぼ全曲、過去に世に出たカバー・ソングを歌う。

カーラ・ボノフやJ.D.サウザーなど、当時あまり売れていなかったミュージシャンの曲を取り上げ世に出したことでも知られる。

ソロ・シンガーとして注目されはじめるのは1970年のシングル「ロング・ロング・タイム(Long Long Time)」のヒットからで、この頃から1970年代のウエストコースト・サウンド・ムーブメントの中心で活躍する女性シンガーとして次第にその名を知られるようになる。

バック・バンドのメンバーとして集められたドン・ヘンリーとグレン・フライ、バーニー・レドン、ランディ・マイズナーは、ロンシュタットのサポート後イーグルスとして独立した。

 

バンド時代とソロ2枚目あたりまではカントリーフォーク中心の曲構成だったが、徐々にロック色を強め、1971年にバックバンドを務めたイーグルスのナンバーやオールディーズナンバーをロック的なボーカルスタイルに変えて人気を得た。

豊かな声量と色艶のある声の持ち主である。イーグルスの名バラード「ならず者(Desperado)」をカバーしたことがあり、こちらも熱唱として知られる。

 

爆発的な人気を得て、その存在を知られるようになったのは、1974年のアルバム「悪いあなた (Heart Like A Wheel)」をヒットさせてから。

1977年には『夢はひとつだけ(Simple Dreams)』、1978年には『Living In The U.S.A.』などの全米No.1アルバムヒットを記録した。

シングル・ヒットではバディ・ホリーのカバー「It's So Easy」などが有名。

1986年には、長編アニメ映画「アメリカ物語」の主題歌「Somewhere Out There」をジェームス・イングラムとのデュエットで大ヒットさせた他、1987年にはエミルー・ハリス、ドリー・パートンとの夢の競演アルバム『Trio』を発表、その後も1989年にはネヴィル・ブラザーズのメンバーの一人、アーロン・ネヴィルとのデュエットで「Don't Know Much」をヒットさせるなど、数々のデュエットナンバーを多く歌う切っ掛けとなった。

 

自身のソロ活動だけでなく、イーグルスやニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーなどのアーティストとも深い交流を持つ。

付き合う男の服装の好みで格好を替えるため、ミック・ジャガーと噂があった際はホットパンツでステージに登場し、スタイルの良さを披露した。

また、ミック・ジャガーが「君にはロックが足りない」と言うと、「あなたにはバラードが足りない」と言い返したという。

イーグルスの代表曲の一つ「Witchy Woman」やローリング・ストーンズの「ダイスを転がせ(Tumbling Dice)」は、彼女のことを歌ったものであり、自身もカヴァーしたことがある。

1990年代に入るとジャズシンガーに転向、またメキシコ音楽にも挑戦するなど、国民的大歌手として活躍した。

 

 

ウィキペディアより抜粋

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